読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

海賊宇宙船地球号獄中記

読書まとめ 1995生

迫るアテナイの刻限 Greece suffers a storm of death.

 前430年、アテナイは死骸積み重なる地獄と化していた。

 ペルシア戦争の折には一致団結して戦ったギリシャであったが、戦勝に随一の功があったアテナイが突出した力をつけていくにつれ他の都市間との不和が発生。膨張するアテナイに恐怖したスパルタはアテナイとの開戦にふみきる。ギリシャアテナイの同盟、スパルタの同盟に二分され、ギリシャ全土を巻き込んだ内戦、ペロポネソス戦争が始まった。このペロポネソス戦争の戦史をアテネの歴史家トゥキディデスが書き残している。

 

歴史 上 (ちくま学芸文庫)

歴史 上 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

 トゥキディデスはこの記録を描いた意図として、人間の本性が変わらない限り同じことが繰り返されるので、この戦争の記録が後世のための参考になれば、と思ったそうだ。そのため極限状態に陥った人間の姿が非常に生々しく書かれている。2つほど印象に残った場面をまとめておく。

  • 病魔に堕ちるアテナイ・・・スパルタとの戦の際、アテナイは海兵以外の人間、アテナイ都市外の田園の農民を全員アテナイの都市内に避難させ、籠城戦を採った。陸上ではスパルタには敵わないので主要の戦闘を海上戦に任せ、陸での戦いは徹底的に防御に徹する作戦だった。しかし折悪く疫病が発生(ペストと思われる)。疫病に見舞われた人間は高熱、下痢、潰瘍、炎症などの症状に襲われ、10日ほどで衰弱死していった。死なずにすんだものも失明や記憶喪失などの治しがたい後遺症を自らのからだに刻むことになった。地方の人間を無理矢理都市に押し込んだせいで地方民は屋外での生活を強いられていた。彼らは劣悪な環境で病魔に侵され、その死体は野ざらしにされ疫病の猛威を拡大させた。この疫病が罹患者にもたらす最も恐ろしい症状、それは「絶望」だった。疫病の恐ろしさを目の当たりにしたものたちは疫病に自分が罹ったときに容易く自らの運命を諦めた。ここにおいて人心の荒廃極まる。神殿すら、入りきらない死体の収容所として使われた。トゥキディデス曰く、『災害の暴威が過度につのると、人間はおのれがどうなるかを推し測ることができなくなって、神聖とか清浄などといういっさいの宗教的感情をかえりみなくなる』。アテナイ市内はかつてない無秩序に見舞われた。明日にも死ぬいのちだと悟ると人は平時に慎むであろうことも公然と行うようになり、犯罪行為が横行した。未来のための努力は鼻で笑われ、死ぬまでの一時を享楽の限りで尽くそうとした。社会的な掟も拘束力を失う。悪を犯しても裁かれるまでもなく命がないのだからと。金持ちも金で命は買えず、死体からは容赦なく財貨を奪われ昨日の貧乏人が今日の金持ちになる。それも長くは続かず、同じことが繰り返される。善人も悪人も等しく裁かれる場では、善悪の観念は機能しなくなっていた。この疫病でアテナイは人口の3分の1が死亡、さらにアテナイの指導者ペリクレスも、この戦争の初期段階で同じく疫病に罹り、死亡した。ペリクレスという優秀な指揮官を失ったことで、アテナイは今後、民衆に媚びを売ることで歓心を集める扇動政治家(デマゴーグ)の指揮下に入り、さらに混沌の坩堝に叩きこまれることになる。
  • ギリシャ全土の虐殺合戦・・・民衆派アテナイ、寡頭派スパルタのどちらにつくかで諸都市は分裂し内戦状態になる。アテナイが相手国の政体改革を餌に国内の叛乱分子を武器として利用するという手段を使ったこともこの戦いに拍車をかける。ここで反対派に対する虐殺が公然と行われるようになる。人間の生活が根底から覆った混乱に乗じ、反対派のレッテルを貼ることで私的な恨みを晴らすものもいた。人殺しが日常になっている今のうちにということか。トゥキディデス曰く、『言葉すら本来それが意味されていた対象を改め、それをもちいる人の行動に即してべつの意味を持つこととなった』。例えば、無思慮➡勇気、先見➡臆病、沈着➡卑怯、悪➡利口、善➡馬鹿、という風に。党派のつながりは肉親のつながりより優先された。中立派は両極のものたから不協力を咎められ、壊滅した。彼らは完全に血に酔っており、虐殺の度合いは完全に度を越していた。以外にも生き残ったのは、権謀術数に優れぬものたちが多い。彼らは自分の弱さを知っており、常に警戒を怠っていなかったからで、なまじ策を弄したものは策が失敗すると一挙に破滅に追い込まれた。

 適当なところで休戦条約を締結しておけばよいのにと思うかもしれないが、名誉欲、支配欲に侵されたアテナイはもはや引き際を失っていた。アテナイの指導者は巧みな言葉で民衆を扇動し戦争を実行する。アテナイの市民も完全に批判能力を喪失した群衆と化していた。勝敗が決定的になったのは、シケリア遠征で大敗北を喫し、得意の海上戦を行う船がほぼ壊滅したことだった。ここで名将デモステネスも処刑された。それ以後も散発的に戦を行うが、アイゴスポタモイの戦いで敗れ、制海権穀物輸送路をおさえられ、アテナイはスパルタに全面降伏した。