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海賊宇宙船地球号獄中記

読書まとめ 1995生

けものフレンズ ジャパリパークの英雄伝説

 けものフレンズが終わったので3つの観点から考察や今後(続編があるそうなので)の妄想をやってみようと思う。3つとは、<貴種流離譚>、<ガリヴァー旅行記>、<アリストテレス>だ。

貴種流離譚 ・・・貴種流離譚民俗学者折口信夫が物語の一類型として提唱した概念。各地の神話で見られ、多くの物語もこれを参照している。以下wikiから引用開始。

大塚英志の著書『物語の体操』では、以下のように定義される。

  1. 英雄は、高位の両親、一般には王の血筋に連なる息子である。
  2. 彼の誕生には困難が伴う。
  3. 予言によって、父親が子供の誕生を恐れる。
  4. 子供は、箱、かごなどに入れられて川に捨てられる。
  5. 子供は、動物とか身分のいやしい人々に救われる。彼は、牝の動物かいやしい女によって養われる。
  6. 大人になって、子供は貴い血筋の両親を見出す。この再会の方法は、物語によってかなり異なる。
  7. 子供は、生みの父親に復讐する。
  8. 子供は認知され、最高の栄誉を受ける。

引用終了

 

かばんを英雄としてこの物語を考えて順に見ていこう。

 

1・・・かばんはジャパリパークのガイド、ミライの毛髪にサンドスターが反応したことにより、ヒトのフレンズとして生まれた。

 

 ミライはパーク内やフレンズたちのことを熟知していたり、パークの危機のときは避難を誘導していたりとジャパリパーク内ではフレンズたちを統率する王とも言える権能を持っている。故に、その遺伝子を受け継ぐかばんは誕生した瞬間に並々ならぬ宿命を背負わされたのである。

2・・・サンドスターがミライの毛髪に接触できたのはミライが観覧車に乗っていたときに風に吹き飛ばされたから。偶然の出来事によってかばんは誕生したのだ。本来生まれるはずがない命である。旧約聖書モーセもファラオのヘブライ人の赤子皆殺計画を運良く逃れ成長した。英雄は誕生の時点から万人とは何か違う逸話を持つ。

3・・・かばんの誕生は別に予言されていない。図書館にある本にパークの危機が到来したときに現れる救世主伝説、なんてものはなかった。

4・・・ミライの毛髪はぼうしの中に引っかかっていた。桃太郎の桃の役割をぼうしが担っていたので当てはまる。

5・・・一人自分が誰かもわからずにいたかばんを導き育てたのは雌のサーバルキャットことサーバルだ。

 

サーバルはジャパリパーク内を熟知しており、かばんの自分探しの旅を助ける。その姿はあたかも『神曲』で人生の道に迷ったダンテを地獄・煉獄・天国・の三界を巡る旅に導く古代ローマの詩人、ウェルギリウスのよう。

 

6・・・かばんが大人になるまでは描かれていないので、2期に期待だ。かばんがヒトをしてヒトたらしめるヒトの歴史を知ったとき、どうするのか・・・

7・・・ヒトの歴史を知ったとき、かばんはヒトに反逆するのかしないのか。かばんの親は広義的に見ればヒトの技術そのものだ。

8・・・かばんに親はいないのでここでは少し違うはなしを。セルリアンに飲み込まれたかばんは『ヒトのフレンズ』からヒトに戻った。これは神学的な見方ができる。旧約聖書のヨナはくじらの腹に呑み込まれ再び帰還することにより預言者としての資質を得る。イエスも一度死んでよみがえる。ドラゴンボールの悟空も一度死んで蘇り、仲間の危機を救う。英雄は一度死んで、蘇って完成され、仲間から賞賛される。

 貴種流離譚的に見ればまだ後半の3つを解消していないように思う。かばんは自分が『ヒト』であることは分かったが『ヒト』が何かは具体的に知らない。単に、知恵がまわり道具を使える動物ぐらいにしか思っていない。今後はかばんがヒトが何かを探す旅になるのだろうか。

 

ガリヴァー旅行記 

 

ガリヴァ旅行記 (新潮文庫)

ガリヴァ旅行記 (新潮文庫)

 

  ガリヴァーが最後についた島、フウイヌム国は理性的に発達した馬のフレンズ(違う)が支配する国だ。

ガリヴァーはヒトとフウイヌム(馬人間)とを比べてフウイヌムのほうが優れているとして、人間社会に戻っても馬のような暮らしを好んだという。ガリヴァーはこの行動から周りにに気が狂っていると思われた。このことから考えるに、フレンズの社会に慣れ親しんだかばんが生き馬の目を抜くような人間社会に馴染めるかは大きな疑問である。ガリヴァーの二の舞ににならないといいが。

 

アリストテレス

 アリストテレスは何事にも目的があると考える古代ギリシャの哲学者だ。アリストテレスは、動物は人間に支配されるために存在し、人間に使役されることが動物にとっての幸福と考えた。つまり、家畜は人間に食べられるのが幸福であるとアリストテレスは言う。かばんがギリシャ哲学にかぶれた場合、フレンズたちは「食べないで」と、かばんに向かって泣き叫び、懇願することになるだろう。

 サーバル「食べないで…友達でしょ…」

かばん「フレンズは人間より下等な動物という存在由来であり、フレンズも人間に服従することは自然に従っている。であるからして君たちがぼくに心地よいことをするのは自然なふるまいであり、自然なふるまいは善である。フレンズは明らかに人間より理性の点で劣っている。理性だけが神的なものに触れることができるので、非理性が理性の下位におかれるのは自然で善なふるまいなのである。君は確かにぼくの友達である。友達には快を味わってもらいたいと思うのは自然であり善である。以上のことが明らかになったので、ぼくは君を食べる」

 さすがにこんな展開は炎上ものだ。

 

 このように「けものフレンズ」は多様な解釈や妄想に耐えうる作品であり、かつ何も考えずにフレンズたちの愛らしい様子を観賞するだけても満足できるものなのだ。1話でサーバルが放ったセリフ、「フレンズによって、得意なことは違うから!」はこのことを意味している。